top of page
IMG_2480縦修正小.jpg

社長の思い

コロナ禍において、私はまず、理念に立ち返った。

連日、報道されるさまざまなニュースで不安になったり、気持ちが揺らいだり、「不要不急とは一体何だろう」「私たちにできるものづくりとは」と

考え始め、迷うこともあった。

そこで、理念についてもう一度考え、私たちの仕事の意義や目的、

社会的使命を確認した。

これにより、「これから何をすべきか」が分り、

「ワンチームで向かっていこう」という気持ちが醸成されていくのだと思う。

 

私の思い

お客さんも大事だけど、自分は経営者、リーダーだから、

従業員に幸せになってほしい。お客さんのために従業員を犠牲にするなんて

やり方じゃなくて、従業員に幸せになってほしい。豊かになってほしい。

まずはすべてはそこからだと、そんなふうにやっている。

 

トップダウンに慣れて従業員は意見を言えず、無駄の多い業務を黙々と続ける…。

昔ながらの経営手法を貫く中小企業では、「今までこのやり方で続けてきたのだから」と現会長の父は、典型的なトップダウン経営をするタイプ。

それに慣れている社員たちは、自分たちの意見を言うこともなく、どちらかというと “言われたことを淡々とこなしている” ような状態。

自発的に考えたり動いたりすることはほとんどなく、作業も非効率的に見える。

そんな状態に疲弊していたのか、

正直モチベーションが高い状態とは言えなかった。

ところが、ある時気が付いた。

従業員の意見を色々聞いていって要望を色々取り入れて、

色んな条件を良くしている。

なのに、社員たちが全然幸せになっていかない。

あれやこれや、どんどん要求が増えるし、感謝なんてあるのだろうか。

自分がやっていることは間違っているんだろうか。

それは、従業員が悪いんじゃなくて、自分がごう慢な上から目線だから、

このような事態が起こるんじゃないか。

従業員を幸せにしてやる。要求をかなえてやる。

様々な条件を整えてやる。どんだけ上から目線なのか。

従業員は決して小さなものではない。

会社、或いは、リーダー、社長、それはもはや、舞台に関すれば、

大道具や照明みたいなものなんかじゃないかと。

なぜ、従業員を幸せにしようとしているのか、

それは、その従業員が舞台で踊る主役だから、俳優だから、プレイヤーだからではないか。その人たちが自信を持って豊かにキラキラ踊るその先に、

大勢のお客さんがいる。そのお客さんたちは従業員のそのパフォーマンスをみて感動していく。喜んでいる。幸せを手にしている。

従業員への敬意があるだろうか。その従業員が舞台で踊るその主役であり、

パフォーマーであり、プレイヤーだということに気づいているだろうか。

従業員たちは決して会社から受けるだけで終わるわけじゃない。

会社の力をバックにしながら、自分が踊り出していく。

そのひとつの舞台を作るためのチームでしかないじゃないか。

従業員が“踊る”ということを忘れるからこそ、

まさに、このような、ひずんだ関係が生まれてくるのではないか。

確かに様々な苦難に向き合っていくこと、それを支えることを大切に考えた。

絶対に、相手を救済しようと思ってはいけないのだ。

救済などというのは、自己欺瞞、偽善、そして上から目線のごう慢な態度である。

相手は救わなければいけない人間なんじゃない。

1人ひとりのプレーヤーたちが、伸び伸びとパフォーマンスするごとく、伸び伸び働き始め、伸び伸び多くの人たちを感動させる、そんなための後押しでしかないのだと。そのための環境を整えるその姿なのだと。

相手は決して受け手ではない。相手は決して弱者ではない。

相手こそがまさに踊り出すことで、この社会が豊かになっていく。

その相手への敬意をいかに抱いているか。ために、ためにとしてあげるのは、一見、やさしいように見えるけど、それは相手を受けてに閉じ込めていく。

相手のことを馬鹿にしている。

相手のことを小さなものだと思っている、ごう慢な話だと。

ためにではない。すべては共にやっていくのだと。

一人ひとりその力の心に火をつけようじゃないか。

まさに一人ひとり、それこそが主役であり、担い手であり、それぞれのフィールドで花を咲かせ始める。

 

 

コロナ禍で理念に立ち返る

数年前から、トップダウンからボトムアップへ

b-antei.jpg
b-a.jpg
bottom of page