社長の思い
コロナ禍において、私はまず、理念に立ち返った。
連日、報道されるさまざまなニュースで不安になったり、気持ちが揺らいだり、「不要不急とは一体何だろう」「私たちにできるものづくりとは」と
考え始め、迷うこともあった。
そこで、理念についてもう一度考え、私たちの仕事の意義や目的、
社会的使命を確認した。
これにより、「これから何をすべきか」が分り、
「ワンチームで向かっていこう」という気持ちが醸成されていくのだと思う。
私の思い
お客さんも大事だけど、自分は経営者、リーダーだから、
従業員に幸せになってほしい。お客さんのために従業員を犠牲にするなんて
やり方じゃなくて、従業員に幸せになってほしい。豊かになってほしい。
まずはすべてはそこからだと、そんなふうにやっている。
トップダウンに慣れて従業員は意見を言えず、無駄の多い業務を黙々と続ける…。
昔ながらの経営手法を貫く中小企業では、「今までこのやり方で続けてきたのだから」と現会長の父は、典型的なトップダウン経営をするタイプ。
それに慣れている社員たちは、自分たちの意見を言うこともなく、どちらかというと “言われたことを淡々とこなしている” ような状態。
自発的に考えたり動いたりすることはほとんどなく、作業も非効率的に見える。
そんな状態に疲弊していたのか、
正直モチベーションが高い状態とは言えなかった。
ところが、ある時気が付いた。
従業員の意見を色々聞いていって要望を色々取り入れて、
色んな条件を良くしている。
なのに、社員たちが全然幸せになっていかない。
あれやこれや、どんどん要求が増えるし、感謝なんてあるのだろうか。
自分がやっていることは間違っているんだろうか。
それは、従業員が悪いんじゃなくて、自分がごう慢な上から目線だから、
このような事態が起こるんじゃないか。
従業員を幸せにしてやる。要求をかなえてやる。
様々な条件を整えてやる。どんだけ上から目線なのか。
従業員は決して小さなものではない。
会社、或いは、リーダー、社長、それはもはや、舞台に関すれば、
大道具や照明みたいなものなんかじゃないかと。
なぜ、従業員を幸せにしようとしているのか、
それは、その従業員が舞台で踊る主役だから、俳優だから、プレイヤーだからではないか。その人たちが自信を持って豊かにキラキラ踊るその先に、
大勢のお客さんがいる。そのお客さんたちは従業員のそのパフォーマンスをみて感動していく。喜んでいる。幸せを手にしている。
従業員への敬意があるだろうか。その従業員が舞台で踊るその主役であり、
パフォーマーであり、プレイヤーだということに気づいているだろうか。
従業員たちは決して会社から受けるだけで終わるわけじゃない。
会社の力をバックにしながら、自分が踊り出していく。
そのひとつの舞台を作るためのチームでしかないじゃないか。
従業員が“踊る”ということを忘れるからこそ、
まさに、このような、ひずんだ関係が生まれてくるのではないか。
確かに様々な苦難に向き合っていくこと、それを支えることを大切に考えた。
絶対に、相手を救済しようと思ってはいけないのだ。
救済などというのは、自己欺瞞、偽善、そして上から目線のごう慢な態度である。
相手は救わなければいけない人間なんじゃない。
1人ひとりのプレーヤーたちが、伸び伸びとパフォーマンスするごとく、伸び伸び働き始め、伸び伸び多くの人たちを感動させる、そんなための後押しでしかないのだと。そのための環境を整えるその姿なのだと。
相手は決して受け手ではない。相手は決して弱者ではない。
相手こそがまさに踊り出すことで、この社会が豊かになっていく。
その相手への敬意をいかに抱いているか。ために、ためにとしてあげるのは、一見、やさしいように見えるけど、それは相手を受けてに閉じ込めていく。
相手のことを馬鹿にしている。
相手のことを小さなものだと思っている、ごう慢な話だと。
ためにではない。すべては共にやっていくのだと。
一人ひとりその力の心に火をつけようじゃないか。
まさに一人ひとり、それこそが主役であり、担い手であり、それぞれのフィールドで花を咲かせ始める。